宝田啓太さん 2010年卒
カリフォルニア州立大学イーストベイ校 大学院 在学中
本校を卒業後すぐにアメリカの大学に渡ってから6年間、現在もMBA(※筆者注:Master of Business Administration=経営学を修めたものに対して主に欧米で授与される修士号のこと)取得を目指して大学院でマーケティングと金融の勉強を続けています。
―まず、駒大高校に入学した理由を教えてください。
宝田:私は「東京北砂リトル」という強豪のリトルリーグのチームに所属していて(※筆者注:早稲田実業の清宮幸太郎選手、弟の福太郎選手の所属チームとして有名)、駒大高校の野球部に入部して甲子園を目指したかったというのが一番大きな理由です。
―卒業後、アメリカの大学を選んだのはどうしてですか?
宝田:先ほど挙げたチームでは世界大会を目指して戦っていて、その時から「世界で活躍したい」という漠然とした思いを持っていました。結果的には全日本で終わってしまったのですが、父が「世界大会のかわりに」と、アメリカ旅行に連れて行ってくれたんです。その時に違う言語を使ってコミュニケーションをする楽しさを知り、将来は海外に出ようと心を決めました。大学進学にあたり、駒澤大学のグローバル・メディア・スタディーズ学部も考えたのですが、1年間の留学で帰国する学生が多いと知り、どうせなら海外の大学に行ってしまおう!と決意し、カリフォルニア州立大学へ進みました。
―実際、アメリカに渡ったばかりの時はどんな生活をしていたんですか?
宝田:4月にアメリカに渡ってから9月まで、入学試験に向けて猛勉強しました。初めての海外暮らしで、何とか英語をしゃべらないと生きていけず、大変すぎて10キロも痩せてしまいました。入学後は、授業中の発言や質問、ディスカッションなどに、日本人学生とは違う外国人の学生の意欲を感じ、最初は気後れしましたね。外国人の学生の輪に入り込むのに苦労しましたが、野球やスポーツの話題など共通の話題を見つけて積極的に話しかけ、仲間に加わることができました。地元のチームで今も野球を続けています。プレーヤーとしてだけでなく、リーグの運営や企画にも関わっているんですよ。スポーツをやっていてよかったなと思っています。
―慣れない環境で生活するのは大変だったでしょうね!そこで自分を支えてくれたものは何だったのでしょう?
宝田:野球部で培った精神力ですね。トレーニングも、レギュラーをとるためのプレッシャーもきつかったので、アメリカで苦労した時も「この苦しさも乗り越えられる!」という自信がありました。それから、高校時代の友達の存在が大きな支えになりました。毎日やっていたSkypeがなければどうなっていたか…(笑)
―現在、大学院でMBA取得に向け学業に励んでいるようですが、どんな環境で学んでいるんですか?
宝田:日本人は私しかいません。アメリカ人以外にも多くの留学生がいて、色々な国の人たちと接することができて勉強になります。それとちょっと余談なんですが、私が所属していた「東京北砂リトル」が今年、リトルリーグワールドシリーズの決勝に進み、アメリカで試合をしました(※筆者注:清宮福太郎くんが活躍したとニュースで話題になっていましたね!)。その時、私が通訳としてチームに同行したんですよ!
―それは素晴らしいですね!チームに恩返しができたという感じですね。
―では最後に、駒大高校で3年間学び、よかったなと思うことを教えてください。
宝田:まず、「仏教」です。アメリカ人と話していると、よく宗教の話になります。日本にいるときは意識していなかったのですが、「仏教」を自分のアイデンティティとして話ができたのはよかったですね。
それから、私は亀田先生に担任をしていただいていたのですが、クラスの合言葉は「精一杯」でした。亀田先生はことあるごとに「目の前のことに自分ができるかぎり一生懸命に、何でも精一杯やりなさい」とおっしゃっていて、クラスの皆は色々なことに前向きに取り組むことができました。亀田先生にいただいたこの「精一杯」という言葉が私にとってはとても大切で、これを支えにアメリカでも頑張れたと思っています。だからこそ、今でも「母校に帰ってきたい、お世話になった先生方に会いたい」と思えるんです。亀田先生をはじめ、野球部でご指導いただいた先生方にも本当に感謝しています。
将来は、海外営業などの職に就き、日本の文化や企業の素晴らしさを海外に伝える仕事をしていきたいです!
―素敵なお話、ありがとうございました!こんなふうに母校を大切に思ってくれる卒業生の存在が駒大高校の誇りです。帰国の際はまた遊びに来てくださいね!